おいてけぼり?
前回の記事冒頭で、実家に帰省していたといいましたが、そこで思ったことについて
未だ投稿記事4つにしてすでに香ばしい臭いが漏れだしているとおり、私の育った家庭は、所謂機能不全チックな家庭でした。
でしたって過去形なのは、今はある意味一家離散なので、小康状態を保っているからです。
私は大学進学のため18で家を出て、今は実家から片道600キロ超えの場所にいます。
弟は県内ですが、実家からは通えない大学に進学したため
(そもそも実家が田舎すぎてどこでも下宿前提なんだが)
私と同様下宿です。
で、母は前回の帰省で発覚したことですが、
母の実家に帰ってそこから仕事場に通勤してました
末子も、高校進学と同時に母の実家から高校に通っています。
祖母は施設にいるので、今、実家には父だけが住んでいます。
週末は母がおかずを補充しに帰るし、父も母の実家にいって雑用したりするので交流が断絶してるわけじゃないんですけど。
まあ、ゆるい紐帯でつながってるかんじですかね。
母は祖母(今は施設にいる)や祖父(既に個人。当時は生きてた)の介護のためといっていたけれど
確かに傍目からみたらもっともな理由なんですが、
直感的に、"ああ、母はとうとう脱出したんだ"と思いました。
私がまだ家にいた頃、父は酒乱でDV野郎でした。
母は、仕事から帰ると、車のなかで仮眠をとり、父が一通り落ち着いてから、帰ってきました。
大体、10時とか11時とかです。
その間私は、風呂を汲み、夕飯をつくり、皿を洗い、弟たち一緒に、酒が過ぎて不発弾と化した父の存在を察知しつつ、気にしないようにただただ時間が過ぎるのを待っていました。
父が眠りにつくとほぅとして、一人でぼーっとしていました。集中力は全てそこにあてていましたから。
そんななか母が帰ってきます。
そんな日々でした。
時々運悪く母の帰宅と父の不発弾がかち合うとバトル・ロワイアルになりました。
時々っつーか、度々?
母もやり過ごせばいいものを、口で立ち向かおうとするので、そうすると、拳がとんできます。足も出ます。時々物も出てきます。あ、罵声はBGMです。
そうすると、小学校~中学校の頃は、私は弟たちと一時避難します。
女の私は本能的に50過ぎでもあの男には勝てないし、私より小さい声変わりもしていない弟たちでは戦力外です。
その頃の私には逃げることしか選択肢になかった。その逃げも距離的にはわずか10メートルもないんですが。
父は母の顔を殴っても、私の顔はなぐりませんでした。
私は、父からは罵声と足蹴りと、肩パンと、髪の毛を掴んで壁に叩きつけられたことくらいしかありません。
それでもアザにすらなりませんでした。ちょっと痛いだけ。
一方母は、バトル・ロワイアルの度にアザをつくりました。それでも、顔よりも下でしたけど。
一度、私が高校の時に、バトル・ロワイアルが熾烈を極め、母が顔に大きなアザをつくりました。
はじめは不自然な黄色から翌朝には、赤紫に、あれ、逆かな?に変化するそのアザをみて、
はじめて、"これは異常なんだ"と本当に思いました。
と、同時に"母はいつかこいつに殺される"と危機感を持ちました。脳内で言語化されない警告が点滅していました。目の先がチカチカしました。
一方で実の親にそんなことを自然と察知する私を離れたところから見ている私もいて、その私は、
"これはさすがに、止めないとやばいよ"、と冷静にアドバイスしてきました。
次に同じ状態になったとき(まあそれ前回から2日後なんですけど。)
私は、はじめて父親の前に出ていました。
弟たちにここから出るんじゃないよ、早くねちまいな、といってから。
父の前に出たときのことは正直よく覚えていません。多分興奮してアドレナリンどばーだったんでしょう。
ただひとつだけ覚えている感覚は、
"あ、こいつ意外と小さかったんだな"ということです。
小さい頃はあんなに怪獣に見えたのに、いざ目の前に飛び出てみたら、目の前には私とあまり身長の変わらない初老の男がいました。
力では勝てないので、私はやめろと怒鳴ってからただただ睨み付けました
どけ、と怒鳴られても無言で動きませんでした。
なんだその目は、と怒鳴られても
おまえもお母さんと一緒にぶんなぐってやろうかと怒鳴られても
生意気だと言われても、
睨み付けたまま動きませんでした。
何も言わない、手も出さない。けど従わない動かない。
父は、舌打ちすると寝室に帰っていきました。
父が帰った寝室から弟たちが出てきました。
おめーら寝ろっつっただろと思いました。
直ぐ下の弟が、なんで勝てないのに口出すんだと母に吐き捨てるように言いました。
末子は黙っていました。
私は最もだとおもいました。
私はいつか殺されるよ、お母さんとだけ言いました。
母は、いいから寝なさいといいました。
その出来事以降、バトル・ロワイアルの時、すぐ下の弟は、父の前に出るようになりました。
弟は力でも負けませんでした。
弟は、力で対抗できるようになっていました。
私は、男子の第二次成長期ってすげーと思いました。
私の中の冷静な人が、今度は、
"逃げたら?"と冷静に言っていました。
その3年後、大学進学のためという名目で私は家を出ました。
今、父は年を取りました。年金生活に入りました。
もう怒鳴ることもないし、拳を振り上げる力も多分ありません。
母に文句をいいますが、怒鳴ることはありません。
帰省すると、母はよく笑うようになりました。週末に母の実家に通ってくる父のために麦酒とグラスを冷やしているそうです。
いいねーおとうさん、たまに帰ってくる娘や息子とお酒飲めて
母が食事の席でいいます。
すごく平和。
すごく普通。
なのに、私には帰省の度に違和感しかありません。
よかったね、のハッピーエンドなのに。
私はこういうのが欲しかったんですけど、確かに。
私だけ、きっと私だけ、逃げた18の頃から記憶が止まっています。今、もう24だけど。
私は何から逃げていたのか。なんにために逃げていたのか。逃げてよかったのか。
なんで皆、なかったことみたいに笑っているのか。
あれは本当は私の中の妄想だったんじゃないか。
もしかして、母は昔から笑っていたんじゃないか。麦酒もグラスも冷やしてたんじゃないか。
父は昔から年を取った非力な口の悪いだけの男だったんじゃないか。
あれはなんだったんだろうか。
実家でもてなされる度に、初老の男の口から"お前はおれの娘だ"と、それを母が笑顔で茶化す光景を見るたびに、
ここはパラレルワールドなんじゃないかと、
べったりとした居心地の悪さを覚える
っていう夢を見ました。
というオチだったらよかったなあ。