とぶこは育つ

脱力絶望系女子の備忘録です

リスクを取れるということ

この間、今年の春に社会人になった後輩と電話ではなしtた
まあ、なんていうか、よくまとめサイトで見るような、ブラック会社社畜チェックにだだはまるような話だった。

一番心配したのが、明らかにじじばばへの無形サービス料を、商品の販売売り上げとして自然に変換されてる(頭のなかで)かのような話し方のレトリックをその子が自然としていたことにたいしてだった。

その子の口から営業法方法の話が出てきたときには違和感が勝った。
その子の強みを、その子の精神が耐えられないような使い方をすることでなりたたせる営業の方法だと感じた。
それでも彼女は、いい会社だ、いい人に囲まれたとしきりに言う。

本人がそういうならと思ってはじめは聞いていたけど、もしかしたこれはSOSなんじゃないかと、本人もラップでぐるぐる巻きにし過ぎて麻痺しかけた無意識の救難信号なんじゃないかと思えてきて終盤で一度背筋が凍った。

まあ、それはそれとして
一番なんだよそれは、と思ったのは、

その子の先生が、社会人になった彼女と話したときに、
"で、それってニセモノばっかなんでしょ?"
"じじばば上手いことまるめこんでんでしょ"
的なコメントをしたそうだ。

成分についてはまじでちゃんと入れてるのがウリでその分値段も張るらしいので
前半部分は偽だとして、おそらく後半は話を聞く限りグレー

無形サービスの占める営業への割合はおそらくくだいぶでかい。
とはいえてめーがそれいうのかよセンコーってはなし。

おそらく彼女は悩み、苦しむのを避けるために適応している

それにたいしてかける言葉は、アプローチ方法は色々あるけど、
センセー、それはたぶん間違ってるよ。まぁ、どれだけ正解があって、どれだけ不正解があるのかわからないけど、
そのアプローチなら、ほかの言葉のかけ方もある。とくに彼女のようなナイーブな状態に対しては尚更。

どんだけセンセーって呼ばれるまで努力してリスクをとってがつがつ生きてきた自負があっても、
その生気に当てられてしまうような、リスクをとることがかっこいいという価値観さえもつ機会さえ許されなかった者はいるんですよ。センセのまわりにはそういうのは淘汰されて見えなかったかもしれないですけどね。

そんな子らに正論浴びせてどうすんだよ。
それで、相手が言葉に詰まったら、それでリスクをとるようになったら、満足ですか?

そこまで考えてませんよね、おそらく。

相手を立ち上がれなくするような正論が正解の時もあると思いますよ。学会とか論文とか、学内政治とか、教授会とかね。知らんけど。

でも、元教え子が、わざわざGWに片道二時間かけて貴重な半日休みの日に元学び舎に、元所属研究室のドアをノックした意味をもう少しだけ違う角度から解釈してみることも出来たんじゃないかと。

センセーはセンセーが普段おっしゃるほど人間に絶望なんてしてないし、おそらく、センセーが絶望なさったとしたらそれは、同じアスピレーション、価値観の範囲内で起こったことですよ。

絶望なんて贅沢なことすら教わらなかった子どもたちが大人になって社会に出ていくことの悲哀をあなたはきっと知らない。
知っていたら、そんなくそ無邪気な言葉は出てこないはずだから。

まあ、それはそれとしてセンセーの教授としての色々はすごいと思いますよ。そこは別だよね。